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松山地方裁判所西条支部 昭和49年(ワ)158号 判決 1976年7月29日

原告

鎌田栄一

被告

田下力

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(甲)  申立

(原告)

一  被告は原告に対し金二一一万六、〇〇〇円及びこれに対する昭和四九年一月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決、並びに仮執行の宣言。

(被告)

主文同旨の判決。

(乙)  主張

(原告の請求原因)

第一  原告は昭和四三年二月二八日午後二時ごろ広島県呉市狩留貢池崎造船所前道路上を原動機付自転車(壬生川B―〇二一一。以下本件自転車という)を運転して進行中、軽自動車(6広島と二六二七。以下本件自動車という)を運転して道路外から進入してきた被告がこれを右自転車に衝突させて原告を転倒させた(以下、本件事故という)。

二(一) 右事故により、原告は頭部外傷、脳震盪、顔面挫創、右肩左手左第一二肋骨部右胸部各挫傷、右肩鎖関節亜脱臼、右肋軟骨々折等の傷害を受け、当初は意識混沌、右上膊の運動は殆んど不能であつた。

(二) そこで、(1)原告は昭和四三年二月二八日から同年四月二日まで(三五日)広島県呉市所在の岡平外科医院に入院加療を受けた。

(2) ついで、同年四月四日から昭和四六年一〇月二七日まで(実治療日数四二日)右岡平外科医院において、昭和四三年四年一三日から同年九月七日まで(実治療日数六九日)愛媛県東予市所在の周桑病院において、同年九月七日から昭和四六年一二月三一日まで(実治療日数六九八日)同県同市所在の共立病院において、各通院加療を受けた。

(三) しかし、昭和四六年末ごろには症状徐々固定したが、尚頭頂部の頭重、両大後頭神経痛、右耳鳴、頸部、右肩関節部の各運動制限、左拇指の運動開排障害等の障害を残存し、昭和四八年末には所謂自賠責保険の後遺障害等級一二級の認定を受けた。

三 被告は本件自動車の所有者である。

第二  原告の受けた損害はつぎのとおりである。

一 受傷分 金二一五万七、六五二円の内金一六八万九、〇〇〇円

(一) 治療費 金四三万七、六五二円

(1) 金八万七、一六六円 岡平外科医院分

(2) 金一六万五、八六一円 周桑病院分

(3) 金一八万四、六二五円 共立病院分

(二) 休業損失 金一二二万円

原告は漆器類の小売販売(主として訪問販売)を業として、昭和四三年当時は売上年額金一七〇万円、純利益年額金七〇万円を下らない収入を得ていたものであるが、本件事故による休業によりつぎのとおり減収となつた。

(1) 事故当日から昭和四三年九月末日ごろまで七ケ月

全休 金四〇万円

(2) 同年一〇から昭和四四年九月まで一ケ年

五割減 金三五万円

(3) 同年一〇月から昭和四六年一二月末まで二年三ケ月

三割減 金四七万円

(三) 慰藉料 金五〇万円

二 後遺障害分 金七三万七、〇〇〇円の内金四二万七、〇〇〇円

(一) 減収額 金四二万七、〇〇〇円

後遺障害による労働能力の低下により五年間一四パーセントの減収があつたとすればホフマン係数四・三六四三であるからその現価は金四二万七、七〇一円となる。

(二) 慰藉料 金三一万円

第三  よつて、原告は被告に対し、自動車損害賠償保障法(以下、自賠法という)第三条に基づき、右合計金二一一万六、〇〇〇円及びこれに対する本件事故発生後の昭和四九年一月一日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する被告の答弁)

請求原因第一項一のうち、原告主張の日時及び場所で原告運転の本件自転車と被告運転の本件自動車と接触する事故が生じたことを認め、その余を否認する。同項二(一)ないし(三)は不知。同項三を認める。同第二項一(一)ないし(三)、並びに二(一)(三)は全て不知。同第三項を争う。

(被告の抗弁)

第一  本訴請求は本件事故の日である昭和四三年二月二八日より三年以上経過して提起された。よつて被告は消滅時効を援用する。

尚、原告主張の後遺障害について原告はこれに類することを昭和四三年当初より言明し続けていたものであるから、これに関する請求権のみが後日発生したものと認めることはできない。

第二  被告は本件事故当日道路外というより道路左端部に本件自動車を一時駐車し、右発進に際しては右に方向指示器を点滅させ、右後方より進行してくる原告らの車両に合図を施していたに拘らず、原告は不注意のためこれを確認していない。しかも、本件事故現場は本件自転車の進路に向つて右にカーブする場にあり、原告としては右発進準備中の本件自動車をかなり遠方より判然確認できる状況にあつた。しかるに原告は右自動車の動向を直視せず、漫然道路左端を進行してきたのみならず、後部荷台には縦約七〇糎、横約三〇糎、高さ約八〇糎の大きな箱の中に、商品、見本等の漆器類を満載のうえ、頭部にヘルメツトも装備していなかつた。従つて、仮りに原告が本件事故直前において、本件自動車の右合図を認めたとしても、通常の場合になしうる事故回避の措置も容易になし得なかつた訳である(右のような本件自転車の状況では二輪車後部に対する風圧並びに加重により車両は急制動の時甚だ不安定となり、ひいてかかる場合の運転者としては通常の場合に比して特別の慎重さが要求されていたのである)。

よつて、本件事故については相当の過失相殺がなされるべきである。

第三  一(一) 被告は昭和四三年八月に金五万円、同年一二月に金一五万一、七〇〇円を支払つた

(二) 又、昭和四四年四月三日までに所謂自賠責保険から金二九万八、三〇〇円が支払われている。

(三) 更に、昭和四八年末ごろ所謂自賠責保険から金三一万円が支払われている。

二 又、原告は国民健康保険医療費填補金として国民健康保険法第六四条第一項に基づき、愛媛県周桑郡壬生川町より七割方の立替医療を請求されたので、被告は原告の為右費用をつぎのとおり同町に支払つた。

(一) 昭和四三年一二月二六日金一万六、五一四円

(二) 昭和四四年一月三〇日金二万六、七七四円

(三) 同年二月二四日金一万五、五五六円

(四) 同年四月一一日金一万五、二六四円

(五) 昭和四五年八月一九日金一〇万円

(抗弁に対する原告の答弁)

抗弁第一項を否認する。本件事故のように症状固定まで長期に亘るときは損害額の確定する治癒又は症状固定時から時効期間は進行すると解すべきである。殊に後遺障害の損害については、所謂自賠責保険査定が決定し、原告宛通知のあつた昭和四八年末をもつて、時効の起算日とすべきであり、未だ時効完成には至つていない。同第二項を否認する。同第三項一(三)を認める。その余は金四六万八、三〇〇円の限度でこれを認め、他を否認する。

(原告の再抗弁)

第一  被告はつぎのとおり、本件事故による被告の債務を承認し、又は時効の利益を放棄している。

一 昭和四五年八月一九日当時の壬生川町役場において、原告の治療費の求償に関し同町国民健康保険担当者と原告及び被告と話し合つた際、被告は原告の治療が長びく予想のもとに原告の治癒後右治療費を負担することを含め解決する旨表明している。

二 仮りにそうでないとしても、被告は昭和四七年五月一二日原告方を訪れたが、原告が不在であつたので家人に対し、呉市に出向いた際被告に連絡されたい旨云い残して立ち去つた。

第二  仮りに右主張が認められないとしても、右第一項一、二の事情のもとで時効の援用を主張するのは権利の乱用である。

(再抗弁に対する被告の答弁)

全て否認する。

(丙) 証拠〔略〕

理由

第一  原告主張の日時及び場所で原告運転の本件自転車と被告運転の本件自動車と接触する事故が生じたこと、並びに右自動車が被告の所有であることは当事者間に争がなく、右事故により原告が頭部外傷(脳震盪)、顔面挫創、右肩左手左第一二肋骨部右胸部各挫傷、右肩鎖関節亜脱臼、左肋軟骨々折、腰部挫傷の傷害を受け、当初は意識混沌、右上膊の運動は殆んど不能であつたこと、並びに早くて昭和四六年一一月二〇日には症状が固定し、左拇指掌指関節捻挫後遺症、左膝打撲後遺症、頭部外傷後遺症、陳旧性右肩鎖関節亜脱臼の後遺症が残り、左拇指屈伸障害、開排困難、左膝のしびれ感、頭項部の頭重、耳鳴、右肩関節の支上困難という自覚症状、頸部運動、肩関節運動障害、左拇指の運動、開排障害等の他覚症状があることが成立に争のない甲第二号証の一、同第六号証の一によつて認められるところである。

二 ところで、被告は右事故による原告の損害賠償請求権は本件事故の日から三年以上経過して提訴されているとして消滅時効を援用し、原告はこれに対し被告の損害賠償債務の承認、若しくは時効利益の放棄を主張するのである。

民法第七二四条は、「不法行為ニ因ル損害賠償の請求権ハ被害者又ハ其法定代理人カ損害及ヒ加害者ヲ知リタル時ヨリ三年間之ヲ行ハサルトキハ時効ニ因リテ消滅ス」と規定し、一般の債権のように単に権利を行使しうる時という客観的に定められる時を標準とせず、被害者側の主観的事情を標準としている。交通事故による損害賠償事件について一般的にこれを看るに加害行為そのものは一回限りであつて、治療費、入院費等は継続的に損害が発生し、又は後遺症のような損害はいわば間歇的な発生をみる場合が多いのであるが、不法定為に因る損害賠償請求権の消滅時効が右のとおり被害者側の主観的要素を重視しているのは、単に時の経過による立証の困難を除去するという証拠に関する観点からのみならず、被害者が加害者及び損害を知つてから三年も経過すれば不法行為による忿懣の情も解けるであろうし、三年も経過して請求すれば、そこにはむしろ不純な動機が存し不自然な事情が伏在するとさえ考えられるという通常の場合を予想しているとみられるところから、加害行為による最初の受傷から相当の期間が経過して後に当初予想されなかつたような後遺症が現れたような場合には被害者の感情はむしろいよいよ激し、これが請求を認めなければ右時効の趣旨に反すると考えられるから、右消滅時効の起算日については、被害者が不法行為に基づく損害の発生を知つた以上、その損害と経験則上牽連一体をなす損害であつて当時においてその発生を通常人の予見することが可能であつたものについては、すべて被害者においてその認識があつたものとして、その損害の発生を知つた時から時効は進行を始めるべきであると解すべく、右の予見可能性の範囲にない、いわば後から生じ又は後から認識しうるようになつた新しい別種の損害については被害者がこれを知つた時から起算すると解すべきである。

(一)  これを本件について看るに、本来ならば本件事故によつて生じた原告の損害は後遺症の点を除き(請求原因第二項一の分)、右事故が発生した日の昭和四三年二月二八日から消滅時効が進行し、三年後である昭和四六年二月二八日にその時効は完成するとみるべく、又、後遺症の分(請求原因同項二の分)は結局前記一の日時に症状が固定するに至つたが、これは本件事故発生当時原告において予見することができなかつたとみるべきところ、成立に争のない甲第二号証の二ないし四、同乙第五号証、弁論の全趣旨によれば、昭和四四年六月一三日早くも右肩鎖関節亜脱臼、左拇指掌指関節捻挫後遺症、左膝打撲後遺症、耳鳴、頭部打撲後遺症等の症状が現れ(甲第二号証の三参照)、原告もこれによる左手のしびれ感及び運動障害、後部頭痛を訴えてこれを認識し、且つ同年一二月一五日書面で本件事故による損害賠償につき後遺症分を含めて被害に督促していることが認められるのであるから、右昭和四四年六月一三日当時既に原告において後遺症の発現は予見可能であつたとみるべく、同日から消滅時効が進行し、三年後である昭和四七年六月一三日にその時効は完成するとみるべきである。

原告は右後遺症の分として症状固定時を昭和四六年一二月末日ごろとし、これに副う甲第六号証の二も存在するが、同号証は自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書再発行分であり、当初の発行分である前掲甲第六号証の一も症状が固定した時の診断書であり、消滅時効の起算日は右症状固定時ではなく、後遺症の発現が予見可能な時期を指称するものと解すべきであるからいずれも採り得ない。

(二)  原告は昭和四三年八月一九日の被告の言明をとらえて、被告の債務の承認又は時効利益の放棄と解しているが、右にみるとおりその当時は原告の後遺症は未だ発現していなかつたのでその分についての消滅時効は進行を開始せず、開始前の承認も時効利益の放棄もあり得ないし、更に右後遺症を除く損害の分については時効進行中のこととて、それ以後の時効利益の放棄と解することはできず、それ以前の放棄と解すべく、且つ右は当該損害分についての債務の承認とみるべきであるが、仮りにそうみたところで、再びその時より右損害分についての消滅時効は進行を開始し、結局三年後である昭和四八年八月一九日を以て時効が完成していることになるので、原告の右主張は採ることができない。

尚、原告は昭和四七年五月一二日被告が原告方を訪れ、原告の家人に対し被告に連絡され度い旨、云残して立去つたことをとらえて、債務の承認又は時効利益の放棄と看ており、甲第九号証の一、二にはその昭和四七年五月一二日付の記文中にこれに副う「午前一〇時ないし一〇時半ごろ、被告が来たが、原告が留守中であつたので妻に対し原告は単車に乗れるか等尋ね金は一銭も入金せず帰り呉に来れば知らせて貰い度いとの事で帰る」旨の記載があるが、右は被告において原告の治癒の模様状況を原告の妻に尋ねた丈でこれを以てしても右時効利益の放棄若しくは承認とみなすに足りない。けだし、承認とは時効の利益を受ける当事者が時効によつて権利を失う者に対してその権利の存在することを知つている旨を表示することであるが、右は相手方を異にしている上、右の趣旨が伺われないからである。又、時効利益の放棄とはこれをする者にその権利を喪失させるものであるが、右の文言にはその趣旨たる被告においてその損害賠償についての話をしたことは伺われないからである。

(三)  更に、原告は本件のような場合消滅時効を主張するのは権利の乱用であると主張する。

しかしながら、右主張を認めるに足りる証拠はない。今少し詳しく述べるに、成立に争のない甲第二号証の二ないし四、同第一〇号証の一、二、乙第五号証、同第一〇号証の二ないし一一、同第一一号証の二、同第一三号証の一、二、同第一四号証の一、二、同第一六号証の一、二、原告本人尋問の結果によつて成立の認められる甲第九号証の一、二を総合すれば、昭和四三年中には原告と被告は本件事故による原告の損害賠償につき数度会合し、これまでに被告は四回に亘り合計金二七万円を支払つているが、そのころから原告は本件事故と直接関係のない低血圧、慢性胃炎等の治療費や、別途の事故による傷害の治療費をも請求するに至つたので、示談交渉は次第にこじれて来るうち、昭和四四年六月ごろからは前記のとおり左膝打撲後遺症、耳鳴、頭部打撲後遺症等の後遺症状が現れ始めたので、原告は同年一二月一五日右損害賠償請求につき書面で督促したところ、被告としては昭和四五年一月後記填補金として金一万五、二六四円の支払をしたのみで右請求に容易に応じなかつたので、遂に原告が使用している国民健康保険医療費填補金の立替払の問題と併せて、同年八月一九日愛媛県周桑郡壬生川町役場において吏員を交えて原告と被告は話合つたが、被告は右填補金一〇万円の支払を約束したのみで原告の損害賠償の額については折り合いがつかず、結局原告の今後は裁判をして決着をつける旨の言明によつて物別れに終つたことが伺えるのであるが、その後さして原告と被告の交渉はなく、右損害賠償についての示談交渉が円滑に進捗しなかつたのは、もとはといえば原告が本件事故に何ら関連のない分までも請求して難航させたからであり、且つ右壬生川町役場で示談交渉が物別れに終つて原告が訴を提起する決意をした後も直ちにこれを起せば解決できたものを永らく放置し、遂にそれから四年も経過した昭和四九年一二月二七日(このことは一件記録上明らかである)本訴を提起するに至つたものであつて、原告の本訴提起についての決断のなさが本件損害賠償請求債権の消滅時効を完成させるに至つたといえ、原告にもその責任の一端があり、又被告が殊更に原告の本訴提起を妨害した点は見当らず、昭和四四年ごろから後遺症の顕現するおそれがあり、これを含めての全損害につき右役場においての示談交渉が結論の出ずじまいであつたところで、右賠償の額につき前記本件事故と別個の費用が混入していたのであれば、右物別れに終つたことはむしろ当然の成行とも考えられるのであつて、右被告の態度をとらえて被告が本訴で消滅時効を主張することが権利の乱用であるとみなすべきものでもない。更に、その後呉に寄つてくれという前記二(二)の被告の言動も何ら本訴における消滅時効の主張が権利乱用であることを、裏付けるものではない。

第二  以上のとおり、原告の本訴請求はその余の判断をするまでもなく理由がないから結局これを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宗哲朗)

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